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個別記事の管理2021-02-10 (Wed)
こんにちは、まかない婦です。

今日、義妹と2人で働いていた時なんとなく昔の話になりました。

むかしむかし、まかない婦が医師会検査センターで働き始めた頃です。そのころ医師会館内で働いていた人たちで作っていた野球チームがありました。⚾

そのチームむっちゃ弱かったです。ゲームに勝ったことあったかな・・・

そして入社したばかりのまかない婦は野球のスコアをつけさせられていました。

あのね、ポンコツチームのスコア付けは激務です。だって普通のゲームじゃないよ。打たれるは、エラーするは、盗塁されるは、又送球ミスしたりしてゲームがしっちゃかめっちゃかでスコア初心者には追いきれないのよね。

結局何点は入ったかくらいしかわかんない、ポンコツチームのポンコツスコアラーだったわけです。

しかしなぜまかない婦がそんなことをさせられていたか今思うと謎です。だってスポーツはやるのも見るのも苦手だし、休みの日潰してスコアラーさせられて、弟が野球小僧だってばれてからは助っ人要員にさせられ、不本意ながら弟に小さくお礼したりしてたはず・・・

なぜ?今思い出しても全く思い当たる節がありません。まあ、あまりにも時が過ぎてしまいすべては忘却の彼方だということを鑑みても全く理解不能です。

そしてやはりスコアの付け方も毛ほども覚えていないという潔さです。

さっき弟に聞いてみたら4回ほど助っ人に行ったそうです。一応高校球児で、一応甲子園も行ったからね。

でも確かレフトだったのにピッチャーさせられてたよね。そして球が重すぎて受けられないと言われ弟の友人まで参戦していたはずです。

なんで?不思議です。みんな野球が好きだったのかしら?

遠い昔の理不尽で不可解なお話でした。
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個別記事の管理2021-01-11 (Mon)
こんにちは、まかない婦です。

金沢の大雪、一応降りやんだみたいです。

でも時折救急車のサイレンが聞こえます。誰かが転んでけがをしたのか、もしくは車のスリップ事故か?

そういえばまかない婦が幼稚園生だったころ大変な大雪が降った年がありました。

家の一階部分が雪で埋まってしまったので2階の窓から出入りしていましたよ。いやホント。

そしてまかない婦が幼稚園に行こうとすると母が
「今日は幼稚園はお休みだ」と言い放ったのです。聞いてないよ。

まかない婦は本人から聞いてない話はとりあえず信じないいやなチビだったようです。なので幼稚園目指して出かけました。

頑固な娘に腹を立てながらやはり心配だったのか母が付いてきてくれました。

雪の原と化した街中を小さな足でよっこらよっこら歩いてずいぶん時間をかけて幼稚園にたどり着きました。先生が一人だけいて
「今日は幼稚園お休みです」といったのを聞いてかわいくうなずいた小さなまかない婦は満足して家に帰りました。

覚えてないけど母は隣で噴火していたことでしょう。我関せず。

あの時の雪に比べたら今回の雪はかわゆいものです。ですがすっかり雪のない冬になれたわたくしたちには結構きついものがあります。

こうなると一番確かなのは人間の足です。ですが歩こうにも歩道は雪が積もって雪の丘のようになっているのでとても歩けたものではありません。融雪でぐちゃぐちゃに雪の解けたシャーベット状の車道を歩くしかありません。

長靴以外の履物を無効にする無情の雪みどろです。

積雪→高齢者転倒→骨折のストーリーが展開しないように祈っています。数年前の大雪でまかない婦も従姉も雪で転倒、骨折しましたからね。

いやなチビは時を経ていやなオババになり、今日も雪道を歩きます。
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個別記事の管理2020-12-19 (Sat)
こんにちは、まかない婦です。

今日義妹と話していてあまりにもおかしかったので昔話を一つしたいと思います。

当社は三ちゃん農業的な会社から今に至るので親戚、兄弟がいろいろと働いています。今日はもう退職した叔母の話です。全盛期叔母は『親方』と呼ばれ当社で幅しく働いていました。

もう何十年も前の話、まだヘアマニキュアなるものが珍しかった時代の話です。

何を思ったか叔母が緑色のヘアマニキュアで髪を染めたのですが、その際少し余ったのでもったいないと思い地肌に塗り付けたのだそうです。

どうなったかもう話の筋が見えてしまったと思うのですが、叔母の頭皮が緑色に染まってしまいました。

そしてその叔母を見て当社の社員が
「親方、頭に苔が生えとるぞ」と言ったとか・・・

苔ではなく叔母のもったいない精神の発露でした。いや、こんなに何十年たっても笑えます。叔母は偉大です。(^∇^)
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個別記事の管理2020-06-13 (Sat)
こんにちは、まかない婦です。

先日厨房で義妹と2人並んで働きながら、なんでそんな話になったのか忘れましたが遠い昔、およそ40年も前のころ祖母の代わりに妹と2人参加した『お座敷列車の旅』の話になりました。

そこに至る前にもいろいろすったもんだあったのですが一番強烈に覚えているのは夕食時の宴会の様子です。

規模の大きなツアーだったのでいわゆる大広間での宴会でした。当時妹はまだ学生でまかない婦も20代前半です。なのに出席者は60~70歳というところでした。

その中で一人のおばあさんがバレリーナのチュチュを着て舞台で踊ったのです。

あの衣装ってすごく嵩張るよね。どうやって持ってきたんだろう?

しかも小太りなのに足が細いです。広がったチュチュを揺らしておばあさんが回ります。クルクルクルクル

更に恐ろしいことに浴衣のすそを乱したほろ酔いのお爺さんが数名刺身の船盛に添えられていた生臭い野菜で作られた花を回るおばあさんに我先にと競うように捧げます。地獄絵図を見た心地でした。((((;゚Д゚)))))))

控えめに言うとドン引きです。(゚△゚;ノ)ノ

クルクル回るバレリーナを見ていたためか体調を崩した妹を連れて部屋に帰ろうとしたのですが脱走者を出さないためにか、出入り口に仁王のように立ちふさがる添乗員さんたちに阻まれて退出もできません。

マジもんの地獄を見ました。

遠い昔の禍々しき思い出であります。

でも義妹と2人大笑いできたのでそれはそれで悪くなかったかもね。
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個別記事の管理2020-01-10 (Fri)
こんにちは、まかない婦です。

昔貧乏だったころ腐ってしまった豚小間を何とか食べられないものかとしこたま茹でて食べてみました。腹は壊さなかったけどちっともおいしくなかったです。まるで藁半紙を食べているようでした。

って、藁半紙食べたことはないけどね。てか、今藁半紙ってこの世に存在するのかな?

何故貧乏だったかと言えば単身上京して1人暮らしをし、栄養士の専門学校に貯金を切り崩しながら通っていたためです。

親に反対されたけどすでに30歳くらいになっていて貯金もそれなりにあったのでバイトしながら行けるだろうなどと甘い見通しでいたため痛い目にあいました。

私、そんなに器用ではなかったですよねー。そうだった・・・

結局学業とバイトの両立は無理でございました。なので腐った肉も食べてみたりしたわけです。

何でこんなことを思い出したかというと、冷気にあたってダメになった大葉を食べてみたところ全く香りがなくってがっかりしたところからです。とりあえず昔からなんでもトライする姿勢は変わっていません。

栄養士の学校を卒業した後病院の栄養科で栄養士として働いたのですがそこでもまかない婦の貧乏は知れ渡っていました。

何しろ朝早くの当番に当たった場合持ち寄りで朝ごはんを食べるのですがそこにフルーツや買ったお惣菜を人数分買っていけるほど経済力がなかったので、いつも手作りしたおかずなどを持って行ってました。それが多分貧乏くさかったのでしょうね。

一度栄養科の人たちと焼き肉を食べに行った時、割とレアな焼きが好きだったためさっさと肉を食べていたら
「生肉食べるなんて動物か?」とさげすまれました。まるであさましいと見下しているようでしたね。

今思えばあさましかったのかもしれません。貧すれば鈍す。哀しきことですが・・・

でもそのことがこんなに何十年たっても心に小さな棘となって刺さっています。その棘の痛みを覚えておこうと思っています。他人を刺さないように、刺された人の痛みを思いやれる人でいたいと思うからです。

今貧乏ではなくなったけどやはり肉の焼き加減はレアが好きなまかない婦です。
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