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個別記事の管理2020-06-13 (Sat)
こんにちは、まかない婦です。

先日厨房で義妹と2人並んで働きながら、なんでそんな話になったのか忘れましたが遠い昔、およそ40年も前のころ祖母の代わりに妹と2人参加した『お座敷列車の旅』の話になりました。

そこに至る前にもいろいろすったもんだあったのですが一番強烈に覚えているのは夕食時の宴会の様子です。

規模の大きなツアーだったのでいわゆる大広間での宴会でした。当時妹はまだ学生でまかない婦も20代前半です。なのに出席者は60~70歳というところでした。

その中で一人のおばあさんがバレリーナのチュチュを着て舞台で踊ったのです。

あの衣装ってすごく嵩張るよね。どうやって持ってきたんだろう?

しかも小太りなのに足が細いです。広がったチュチュを揺らしておばあさんが回ります。クルクルクルクル

更に恐ろしいことに浴衣のすそを乱したほろ酔いのお爺さんが数名刺身の船盛に添えられていた生臭い野菜で作られた花を回るおばあさんに我先にと競うように捧げます。地獄絵図を見た心地でした。((((;゚Д゚)))))))

控えめに言うとドン引きです。(゚△゚;ノ)ノ

クルクル回るバレリーナを見ていたためか体調を崩した妹を連れて部屋に帰ろうとしたのですが脱走者を出さないためにか、出入り口に仁王のように立ちふさがる添乗員さんたちに阻まれて退出もできません。

マジもんの地獄を見ました。

遠い昔の禍々しき思い出であります。

でも義妹と2人大笑いできたのでそれはそれで悪くなかったかもね。
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個別記事の管理2020-01-10 (Fri)
こんにちは、まかない婦です。

昔貧乏だったころ腐ってしまった豚小間を何とか食べられないものかとしこたま茹でて食べてみました。腹は壊さなかったけどちっともおいしくなかったです。まるで藁半紙を食べているようでした。

って、藁半紙食べたことはないけどね。てか、今藁半紙ってこの世に存在するのかな?

何故貧乏だったかと言えば単身上京して1人暮らしをし、栄養士の専門学校に貯金を切り崩しながら通っていたためです。

親に反対されたけどすでに30歳くらいになっていて貯金もそれなりにあったのでバイトしながら行けるだろうなどと甘い見通しでいたため痛い目にあいました。

私、そんなに器用ではなかったですよねー。そうだった・・・

結局学業とバイトの両立は無理でございました。なので腐った肉も食べてみたりしたわけです。

何でこんなことを思い出したかというと、冷気にあたってダメになった大葉を食べてみたところ全く香りがなくってがっかりしたところからです。とりあえず昔からなんでもトライする姿勢は変わっていません。

栄養士の学校を卒業した後病院の栄養科で栄養士として働いたのですがそこでもまかない婦の貧乏は知れ渡っていました。

何しろ朝早くの当番に当たった場合持ち寄りで朝ごはんを食べるのですがそこにフルーツや買ったお惣菜を人数分買っていけるほど経済力がなかったので、いつも手作りしたおかずなどを持って行ってました。それが多分貧乏くさかったのでしょうね。

一度栄養科の人たちと焼き肉を食べに行った時、割とレアな焼きが好きだったためさっさと肉を食べていたら
「生肉食べるなんて動物か?」とさげすまれました。まるであさましいと見下しているようでしたね。

今思えばあさましかったのかもしれません。貧すれば鈍す。哀しきことですが・・・

でもそのことがこんなに何十年たっても心に小さな棘となって刺さっています。その棘の痛みを覚えておこうと思っています。他人を刺さないように、刺された人の痛みを思いやれる人でいたいと思うからです。

今貧乏ではなくなったけどやはり肉の焼き加減はレアが好きなまかない婦です。
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個別記事の管理2019-12-19 (Thu)
こんにちは、まかない婦です。

昨日訪問施療してくれていた整体師の方と話していて思い出したのですが、まかない婦含めの3人姉弟妹はかなり自由な子供だったようです。

とにかく親たちが異常に忙しかったので子供はほぼ放任でした。放任された子供がどうなるかと言うと子供の無法地帯を作り上げます。

特に弟のやんちゃぶりはかなりで、病みがちな心を抱えたまかない婦とは違いはっちゃけていました。

本当に小さかったころ弟が4kgの砂糖の入った樽上のものから畳の部屋に砂糖の堤防を作り、そこに妹がポットに入ったお茶を注いでいました。見たことを後悔するような恐ろしいいたずらです。(゚△゚;ノ)ノ

こいつら鬼親爺に殺される。巻き添えにならぬように現場から逃走しながらも結果が気になりのぞき見していました。

大変な暴力親爺だった父に2人ともぶっ飛ばされると思ったのに、あまりのことに笑いだしてしまった父親にちょっとがっかりしたのを覚えています。巻き添えは嫌だったけどぶっ飛ばしが無しになってちょっとがっかりしたのです。

遊ぶ場所もあまりなかったので長屋のように連なった屋根の上でよく遊んでいました。数軒隣のお家へ屋根からコンニチワしたり、トイレの場所になっていた屋根の部分もありました。親たちは全く知らなかったと思います。

幼稚園に通うようになって一つ年下の弟も同じ幼稚園に入園したのですが、彼は通園を強固に拒否しました。
「幼稚園行くの嫌やわいやー!!」と獣のように泣き叫び近所では朝の風物詩になっていました。

逃げる弟を八百屋のトラックにかっ詰めて護送する父。走るトラックの荷台から逃走を試みる弟。命がけで拒否するほど何が嫌だったのかまかない婦には一向に理解できませんでした。

こんな風に言うとまかない婦がまるでまともだったように取られるかもしれませんが、幼稚園では喋りもせず、絵も描かず、トイレにもいかないのでかなりの問題児だったようです。

そして幼稚園の帰りには水量の多いドブでハンカチを洗濯してきとうなものに干して乾かしてから帰ってきていました。自分でも意味の分からない謎行動です。

妹は連れて行ってもらった映画館のスクリーンの前に立ちふさがりスター気分を味わっていました。

無法地帯・・・子供って恐ろしいですよね。
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個別記事の管理2019-08-28 (Wed)
こんにちは、まかない婦です。

最近きな臭いにおいが漂っている日本と韓国ですね。先日も日本人女性が引き倒されている映像が流れていました。いやはや立場が反対でなくて良かったですよ。日本人が韓国の人にあんなことをしたとしたらいたたまれないですものね。

そんなこんなで韓国旅行の時の話を今日のお昼にしていたのです。会社からも一度韓国旅行はしていましたからね。

まあ、まかない婦の場合個人的にも韓国には行っています。まかない婦の山小屋時代の友人の男子と、医師会検査センター時代の後輩女子との3人で韓国に行った時のことです。

基本的に宿はその街に行ってからとるスタイルなので少しもめました。オンドルの古民家風の宿に締まりたい男子と、小奇麗なホテルに泊まりたい女子は意見が合わないだけでなく気も合いません。

まかない婦がどちらとも友人だったのでかろうじてつながっている3人組です。この二人お互い嫌いあっているようでした。そんな感じでも一緒に旅行するというのがある意味謎な3人組です。共通しているのは行ってみたい国とか、何でも食べてみたいところかしら?

間に居住するまかない婦はもともとすべてがどうでもいいですよ系なので誘われれば誰とでもどこへでも行く感じです。

話を戻します。泊まるところですが結局決められない2人にしびれを切らして寂れた感じの宿をとることを決めました。そしてチェックインした後に信じられない文句の嵐が始まったのです。

「あのね、ここって連れ込み宿だぞ。宿の前にそれ系の女が立っていたのに気が付かなかったのか?」オイ、気が付いてねーよ。気が付いてたらここに決めるわけねーだろ。てか、わかってたんならチェックインする前に文句言え!(#^ω^)ビキビキ

「ちょっとー、この宿うるさいよ。私さっきの繁華街のホテルが良かった。もう、私一人だけあっちのホテルに移るから。」オイ、それも早く言えよ。もー、勝手にしてくれ。何ならここでばらけたってかまわんよ。ε=ε=(怒゚Д゚)ノ

2人とも超勝手でわがままである。こんな人たち、もー嫌になった。

けど結果的に3人ともその宿に泊まり続けることになったのです。一応床はオンドルで温かかったし部屋も広かったからね。ただお風呂は清潔感ゼロだったので2日間風呂は使いませんでした。彼らは使ってたけどね。

仲悪し3人組はこのほかにも中国にも行ったけどなんでこの3人だったのか未だに謎です。韓国観光よりも自分の友人たちの個性の方がインパクト大とはこれいかに?

ちなみに中国に行った時は初日からまかない婦が風邪をひき、まかない婦1人が帰国するまで部屋で沈没していたという悲劇の旅になりました。

そして咳のうるさいまかない婦の部屋から避難して仲の悪い男子の部屋に避難した後輩女子に秘かに呆れていたまかない婦でした。これって一般的にはありですけ?
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個別記事の管理2018-10-11 (Thu)
こんにちは、まかない婦です。

今日妹と話していて思い出したのですが東京で最初に借りたアパートの話です。
「あんた二層式の洗濯機を使ってた」

確かに使っていました。そのころでさえ二層式の洗濯機はあまり見かけなかったのですが仕方なく・・・

実は立派な全自動の洗濯機を用意していたのですが大家さんからダメ出しが出たのです。
「あのね、今東京ではみんな二層式に代えているのよ」

嘘~ん。んな馬鹿な。


どうやらよくよく聞いてみると以前部屋を借りていた人が全自動洗濯機で水漏れを起こしたらしく、それ以降このアパートでは全自動洗濯機不可になったらしいです。すでに買ってしまって部屋にあるのだからと説得したのですがとりつく島もありませんでした。

泣く泣く全自動洗濯機は金沢の自宅に送り、リサイクルショップで中古の二層式洗濯機を買ったのです。

大変ご高齢の大家さん夫妻はアパートの一階部分に住んでおり、まかない婦が洗濯物を取り落として階下に取りに行こうとするとすでに階段下でその洗濯物をもって立っていました。

さらに次々遊びに来る山小屋従業員にあきれ
「こんなに男出入りの激しい人は初めてです」と言われてしまいました。無実です。

山小屋従業員仲間の誰とも付き合ったことはありません。ただ無遠慮に次々訪れる彼ら彼女らにまかない婦自身も呆れていたので大家さんばかりを責めるわけにもいきません。

通っていた栄養士の学校から帰宅するとまかない婦の部屋に7人も座っていたことがありました。男出入りというよりも人の出入りは激しかったです。

あまりのことにもう来ないでくれと頼んだのですが、そんなことに頓着せず頼んだ数日後にはでかい男が2人も押しかけてきました。

そのころまかない婦の部屋は『弥四郎別館ヒマラヤの間』と呼ばれ、下山している山小屋従業員のたまり場的な存在になっていました。

そこに栄養士の学校の同級生たちもしょっちゅう来ていたので今考えれば笑えるほど人が来る部屋でした。

なんかすごく懐かしいです。

男出入りはげしい宣言ですっかり嫌になり早々に新しいアパートに引っ越しました。もう二度と大家と一緒に住むアパートはやめようと思っていた次のアパートは隣の家が大家さんの家でした。

運の悪さは国宝級です。( ノД`)シクシク…

まあそこでも色々とあったので機会があったらまたご紹介しますね。たくさん生きてきたのでたくさん痛い目にあい続けているまかない婦です。ホナ
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